【追記あり】自分より後からジャンルに来た絵ウマに嫉妬してしまう。
うた子さんこんにちは。私は二次創作をするオタクなのですが、後から自分より上手な方が同ジャンル同カプの創作を始められると、自分の創作する意味ってなんだろう…もっとうまい人がいるのだから私が創作する意味なんてないんじゃないかと考えてしまい、虚無になってしまうことがあります。
ジャンルに人がいなかったときには見てもらえていた私の創作物が上手な方が来てから見てもらえる数が減ったような気がして、私の創作物は人がいなかったから見てもらえていただけで、みんな他の上手い方が来たらそっちの方に行ってしまうんだなあ〜と思うこともあり虚無です…
ジャンルで創作される方が増えるのはとても嬉しいことなのですが、虚無を感じることがつらいです。
私たまに友達とニコ生で作業配信やってるんですけど(そんで、拍手に来たおたよりを読む)この間の作業配信で似たような質問が来たんです。「自分より後からジャンルに入ってきた絵ウマに嫉妬してしまう。ジャンル移動してほしいと思ってしまう」みたいな質問。
私は、自分が好きな性癖(A)を描いてくれる人がジャンルに来てくれたら、とっても嬉しいな…と思ったので、その感情はわからないって言いました。
そうしたら、ニコ生のコメントで「Aを描いている人が900人来たら、自分が埋もれて見られなくなっちゃう」て教えてくれた人がいて、たしかに900人来たら不安になるかも!?と思いました。私は私の好きなAがとってもニッチだから、新しい人が来ることが稀だから、この気持ちがわからないんだろうな。でも頭では理解したぞ。と納得しました。
で、貴方の質問が届いて、私はびっくりしました。
驚き① 質問者さんは「上手な方が来てから見てもらえる数が減ったような気がして」一気に押し寄せた900人じゃなくて、この口ぶりは明確な1人に対して言っている!私の理解とは違う!
驚き② 配信で来たのとほとんど同じ質問じゃん!そんなにメジャーな感情なの!?
で、私が何故この感情をわからないか?そこを突き詰めれば、質問者さん(たち)は楽になるかもしれないな。と思い、配信を聞きながら、わかるわかるとツイッターで言っていた友達(たち)に、その感情が解るって、どういうことか?詳しく聞いてみました。
・もし絵うまが私の描きたいもの(見たいもの)をさらに上手に描きあげようもんならそっちのがいいに決まってる…という描く前からの敗北感がある。
・全国大会優勝者が突然トーナメント表に出てきて自分と当たる!って思っちゃう。(同じ土俵に立っている)
・2次創作は戦いであり数取り合戦。自分が描けたらいいで終われない、見てもらえなきゃ意味ないと思ってる。
・私の解釈が一番だからみんなに降伏して欲しいのに技術がないからそれができないのわかってて虚無になる。
・絵にどっちのが上手いとか順位つける感覚が無いと、わからんのでは?
…というようなことでした。
これは私の友人の気持ちなので、質問者さんは「違う違う!そうじゃない!」って言うかもしれない。
でも私はめちゃくちゃハッ!!としました。
私は同人を戦いだと思ってないから解らなかったんだ…!と。
でも、私が急に「同人を戦いと思え!」と言われても、そういわれましても…となるのと同じように、「同人を戦いと思うな!」と言われても、そういわれましても…になるのかもしれない。特に、戦いとは急にやってくるものだけれど、平和は徐々に訪れるものなので…。
平和な環境を探して、そこに身を置いて、これは戦いじゃない。戦いはもう終わったんだ…って思えるようになれば、楽になるのかもしれない。そもそも戦いだと思っていなかったら、見当違いでごめんね。戦いだと思っていますか?
でもそれってやっぱ、むずかしいよなあ…ランボーも「何も終わっちゃいない!」って言ってたし。
でもさ、やっぱカニもカニカマもどっちも美味いし、どっちも食べるよ。カニカマの方が好きって人もいるし、それにカニにはないカニカマの良さがあって、そこは追及できるじゃん。賞味期限が長いとか、カロリー控えめにできるとかさ…。
【追記】
その後こんな拍手が来ました。
うた子さんこんにちは!後から来た絵馬に嫉妬してしまう話、とてもわかります。
私も自分の存在がもう必要ないんじゃないかと落ち込み嫉妬します。質問者さんに当てはまるかわかりませんが、それは自己肯定感の低さからくるものじゃないでしょうか?
また、自分と絵馬(他人)を比較しているようでそうではなく、逆に同一視しているからそんな現象が起こるのかもです。
どんなに他人が絵馬でも、その他人のせいでその時点の自分の画力や作風は何も変わらない、常に同じだと理解するといいかなと思います。他人と自分を重ねるから苦しくなるのかもしれません。
どうしても辛いなら自分の作品の状態を把握して、どこがその絵馬と違うのか分析して練習するなり努力すると気も紛れるかと思います。わかりにくい文章だったらすみません…!
なるほど、他人を「自分の延長線上(理想の自分)」と見るからこそ、理想とのギャップが生じ、苦しむ。これはありそうです。とツイッターで言ったところ、また別の拍手が…
こんにちは。先日の「絵ウマ〜」に関してのブログを読みましたが、わたしにもその感覚に覚えがあります。
蟹とカニカマの例えがめちゃくちゃ上手いな〜と思いました。こんにちは。先日の「絵ウマ〜」に関してのブログを読みましたが、わたしにもその感覚に覚えがあります。蟹とカニカマの例えがめちゃくちゃ上手いな〜と思いました。
カニカマは確かにカニカマで美味しいし、すぐ手に入るから使い勝手もいい、カニカマはカニカマで良いところがあるかもしれない…けれど、絵ウマが来た途端、自分のいるところは高級ビュッフェ会場になるんです。
何万も払って高級ビュッフェに来たのに、カニカマと蟹が並んでいたら、誰もカニカマなんか取らないですよね。
むしろ、「なんでカニカマなんて置いてるんだ」と怒られそうな気すらします。直接言われなくても、なんとなく居づらい空気はあると思います。誰も取らないのにどんどんカニカマだけ追加されていったら「蟹を出せ!」ってなりますよね。そういう感覚です。
それで言うと、「戦場」という表現も的確な気がします。絵ウマに勝負を叩きつけられた訳でもないのに、「私の居場所がなくなる…!」と防衛本能で勝手に戦い始めてしまうのかもしれません。私も絵ウマに関してモヤモヤしていたので、カニカマの例えがめちゃくちゃ上手くてなんとなく自分の置かれた心境を把握できました。例に挙げた方に拍手したいです。
あと、私の場合、他人の二次創作をほとんど読みません。
なので、同じカプ界隈に絵ウマが来てくれることに何のメリットもないのです。
言うなれば絵ウマはカニカマリピーターに「本物の蟹」を知らしめる存在なので、敵なのです。
何故なら私の解釈が世界で一番正しい、私の話が面白い、と思ってるからかもしれません。けれど、実際みんなが喜んで見るものはやはり絵ウマの作品……そういうギャップも苦しいです。(これに関しては、うた子さんが過去のブログ『私より絵が下手なのに私よりいいねがつくのが悔しい…』というような記事で、『あなたは絵の正確さを求めている、その人の作品は別の点で評価されているのかもしれない。その人の作品を研究するのも手……』というようなことを書かれていたと思います。この記事で『絵が上手い=魅力が大伝わりやすい』から評価されやすいんだなぁと自分の中で納得しました)
絵ウマが評価されるのが嫌、というよりは自分が評価されてないことが相対的に分かってしまうから嫌、なのかなぁと思っています。長文失礼しました。
なんてわかりやすい!目からうろこがぼろぼろと。カニを食わないカニカマ側からの意見。(私はカニもカニカマも食うカニカマ)カニの出現により、自分の作品の質自体は変わらなくても、場が変わる、ビュッフェの客の舌が肥える。という意見なんですね。でもカニ目当てで来た客が、おっカニカマっつって、カニカマも食うかもよ?カニカマは美味いので。
ちなみに、拍手内で出てきたのはこの記事ですね。
あと
うた子さんこんばんは。絵うまの件です。
私も自分で納得できるわけではないので外野の考察にすぎませんが、気にされてしまう方は考え方が商材的なのではないでしょうか?
自分のいる業界に大きな資本力を持つ会社が参入してきた、既存顧客は一定の割合でしか増えないため、パイの奪い合いが起きてしまう、という心配かと感じました。
実際には同じサービスや商品を提供しているわけではなく、市場を奪い合っている関係ではないため気にする必要はないと思うのですが、同じジャンルという部分を同業他社と感じられているのでは……解決済みの話題でしたり、見当はずれでしたらすみません。
私もしばらくどういうことか悩んでいます。
このカニ・カニカマ論、考え方が商材的というか、商業的というのはすごく感じていて、「オリジナル向いてそ~~~」て思うんですけど、でも「オリジナルやったら!?」ていうのは、きっと超!検討はずれな回答なんでしょうね…このジャンル、このカプで勝てなきゃ意味ない!みたいな…?