ウタチャンホムペ

たまに質問に答えたり、絵を描いたりします。リンクフリーです。いつもはここにいます→ツイッター@uta914

攻め受け表記の話【追記あり】

こんにちはうた子さん。ちょっと前にtwitterで精神的にA×Bでも肉体的にB×AならそれはBAだからBA表記しろ。それで地雷踏んでしまう奴が大多数いるからというのが話題に上がってました。

このツイートでは最近だと雑食でいろんなCP(ABだけじゃなくCDだったりDAだったり)見たりリバでAB見たりBA見たりする人増えてるけど少数扱いされてました。だから大多数の固定カプ派だったり受け固定派に合わせろという意見でした。


私はここでいう少数派の雑食でリバとか余裕で見てむしろ大好きです。作品も少し書くのですが肉体的にBAでも精神的にはABだからこれはABなんだよ!という考えで書いたりもしてます。

別にこの考え自体大多数派の人にとっては地雷なのも分かりますが日頃から二次創作はネタ被りとかしても気にせずその人が描きたいように描くべき‼︎とかその作品はあんたのだから周りの声は気にするな!とかの意見もときたま見かけます。(もちろん他人の作品内容そのままとかトレスして自作発言とかは除きます)

こういうツイートは結構rtされてるし大多数の人が賛成してると思うのですが最初に書いたツイートもrtされまくっててみんながみんな賛同してるわけじゃないんでしょうが多分半数以上は賛同のしてるのだと思います。そうなると結局自分の好きなように考えたものをそのままやってもお前ら許さないじゃん!というモヤモヤが湧いています。


はっきり言ってtwitterで自分にとって過ごしやすいように嫌な人はブロックするようにPixivでもその人をブロックできるしサイトならもう行かなければいいだけじゃないですか?

だから個人的には精神的にABで肉体的にはBAだったけど表記はABを見てしまったそれが地雷の人はその表記・タグを使うな!と言うより自分でなんとかすべきだと思うのですがうた子さん的にはこのことについてどう思いますか?

長いうえにうた子さんには関係のないことなのですがもしよろしかったら考えをお聞きしたいです。
長々と失礼しました。

 

 

こんにちは。

うんうん、同人って自分の好きなものを好きなように描いてよくて、それってとってもいいところですよね!私も、自分が描きたい!て思ったものを、ワーって描いちゃうので、気持ちとっても分かります。

「精神的にA×Bだけど、肉体的にはB×A」って、言いたいことも、すごくわかります。

でも、どんな創作をしてもいい!っていうのと、その創作にどんなラベルを付けるかっていうのは、ちょっと違うベクトルの話かな?と私は思っていて

どんなタイプの子が攻めか、どんなタイプの子が受けか、っていうのは各々個人が好きな攻め受けを描けばいいと思うんだけど、各々が好きに精神性だけを考えて「わたしはヤンデレ攻めが好き!だから、この子は挿入されてるけど攻め!」っていうふうに考えて、肉体的にはA×Bだけど、BがヤンデレなのでB×Aって言う風にラベルして公開すると、肉体的B×Aを見たかった人が、混乱するんじゃないかなあ?と、思います。(特に性描写がある作品では)

わたしはヤンデレ攻めが好きでも、世間にはもちろんヤンデレ受けが好きな人もいるし…つまり、こういうこと。

f:id:utap:20170415141639j:plain

この世に一人として同じ人がいないのと同じように、同じ精神のキャラっていうのもいないと思うので、精神性で攻め受けをラベルするのは、個人のバイアスがかかって、すごく難しいことじゃないかなあ?と思います。

なので、攻め受け表記は、肉体的に挿入する方が攻め、挿入される方が受け。と言う分かりやすいラベルに頼るのが、皆が混乱しない方法かなあと。

たとえば、絵画売り場で…

油絵の置場と、デジタル絵の置場があって、「この絵はすごく油絵っぽく塗れたから、油絵の作品置き場に置こう!」て言って、勝手にデジタル絵を油絵のところに置いちゃったら、油絵を買いに来た人たちからは「あれ?確かにこれは油絵っぽいけど、デジタルじゃないか!」て思われちゃうし、デジタルだけど油絵っぽい絵を探してる人は、デジタル作品置き場に探しに行くから「うーん、やっぱり油絵っぽいデジタル絵はないな~」って、その作品を見つけられなくなっちゃう。

この場合、絵画コーナーの油絵・デジタル絵という大きな括りに則ってラベリングするのが、絵を描く人にも、絵を観る人にも、分かり易くていいんじゃないかなあ?と思います。

同じように、「肉体的に挿入する方が攻め・挿入される方が受け」という、既に出来上がっている大きな括りに則ってラベリングして、その下の階層の、どんな攻め(挿入する方)か?どんな受け(挿入される方)か?って言うのは、作品でおもいっきり表現するのがいいんじゃないかな?と、思います。

 

【日記のような追記】

一晩ねて、何かを言い忘れているような気がしたので、あんまどうでもいいことだけど私の話。

私は四肢切断が大好きなんだけど、四肢切断をリョナとかグロだと思っていなくて、普通の状態だと思っています。なので、pixivに投稿するときも、R-18のタグしかつけていなかったんだけど、ある日pixivで「R-18G」のタグを誰かがつけていて、あ、これってG(グロ)なんだ!?と気付いて、その時から手足を切っている絵にはGを付けるようにしています。

自分が大好きなものには鈍感になってしまうけど、やっぱり苦手な人は敏感になってしまうだろうし、ちょっとでもグロいものを見たくない!地雷を回避したい!て言うひとには、R-18Gのタグがついてないと、不親切だったなあと反省しました。

でも、これは決してグロが苦手な顔もしらないどこかの誰かの為をおもって、親切心でした行動ではなくて、私が「グロが苦手な人に自分の絵を見てもらいたくないから」、そういう風にタグをつけるようになっただけです。

だって、グロが苦手な人に、自分のラベリングの不手際でグロ(だと世間一般的に思われているもの)を見せてしまったら、こっちが悪者だと思われてしまう可能性がありますね。そうすると、世の中には「悪」を糾弾することに一切の躊躇いをもたない人もいるから…それは私が私自身の身を守るための自衛手段だったんです。

ラベルをちゃんとつけるから、好きなものを描くね。ラベルをちゃんとつけるから、苦手だったら貴方は見ないでね。っていう、私なりの自衛。

質問者さんも「お前ら許さないじゃん!」ってモヤモヤするっていうことは、もしかしたら誰かに怒られたり、したのかなあとちょっと想像します。

誰かのために自分が折れる。と考えるのではなくて、自分が怒られるのは嫌だから、自分の為に作品の見せ方をちょっとだけ変える(描くもの自体は、けっして変えなくていい。描くものは自由であっていい)という考え方だと、少し楽になるかもしれません。