ウタチャンホムペ

質問に答えたり、絵を描いたりします。リンクフリーです。

「絵を描く人と描かない人仲良くなれるか問題」

うた子さんこんにちは!相談をさせてください…!

最近よく、「絵を描く人と描かない人仲良くなれるか問題」が話題になりますよね。

私は絵を描いてTwitterやpixivにアップしたり、漫画を本にしてイベントに参加したりと、
主に二次創作をして楽しんでいる所謂「絵を描く人」です。
そして、最近仲良くしていただいている方の中に、主に関連グッズを購入したり、
関連のアプリゲームを楽しんでいる「絵を描かない人」がいらっしゃいます。

「同じ作品が好き」という共通点があるので、絵を描く描かない関係なく
お友達としてお付き合いしています。
しかし、最近はお互いの熱量の差があるような気がして、つらくなってきました。


例えば、わたしが「〇〇(CP)のこと語り合いたい気分なので、スカイプしてくださる人募集中です!」とTwitterで呟くと
真っ先に「わたしで良ければ…」と声をかけてくださいます。
しかし、その方は「あなたの語りを聞きたいので…」「あなたの熱量を受け止めたいので…」と
わたしの話すことに相槌を打つだけで、わたしが「〇〇さんはどう思いますか?」と質問しても
「あまり考えたことがなかった…。消費する側なので」と、あくまでわたしの話を聞く立場を貫きます。

お話を聞いてくださるだけで十分嬉しいのですが、
正直「語り合いたいのに、これじゃTwitterで壁打ちしてるのと同じだな…」
「だったら同じように二次創作をしている人と、あれこれ語り合いたいな~」
という気持ちになってしまいます。

この気持ちを抱き始めてから、
「やっぱり 二次創作をしている人=生産者、ロム専の人=消費者 になってしまうのかな?作品にかけるエネルギーの差がどうしても出てしまうのかな…?」と
考え込んでしまうようになりました。


また、この方の場合ですが、お誘いを断ったり、他の方と仲良くしていると嫉妬のようなのメッセージが届きます。
「あの時は気後れして断りを承諾してしまったけど、本当はとても嫌だった」
「何故わたしではないんですか?やっぱり絵を描かない人は嫌なんですか?」など…。
熱量の差がつらい…と思っている時に、こんなメッセージが届くとゲンナリしてしまいます。


正直、スカイプなどのお誘いも断りたいし、Twitterもブロックしてしまいたいです。
しかし、少し過激な方なので、今後もぼちぼちお付き合いを続けていくしかないのかな…と頭を悩ませております。
あと、これが所謂「絵描きは絵描き同士としか仲良くしない」状態なのでは…?と少しつらいです。


今回、うた子さんにご助言いただきたいのは下記2点です。

 ① 作品の楽しみ方で、熱量の差って出てくると思いますか?
   これが所謂「絵描きは絵描き同士としか仲良くしない」状態なのでしょうか?
 ② この方との、今後のお付き合いの仕方はどうすればよいと思われますか?


お忙しいところ恐れ入りますが、お答えいただけると幸いです…

 

 

たぶん、あなたは私に、その人との縁切りの背中を教えてほしいんだと思うのです。なぜなら、私はいつも、快適なTLを自分でつくるために、自分の精神をまもるために、ブロックやリムーブは気軽にしたほうが良い!と言っているからです。

それはさておき、これは以前から、非常によく聞かれる質問です。

何度も、色々な人に、聞かれたことがあります。「絵を描く人と描かない人は仲よくなれないのですか」「サークル規模に隔たりがある場合、仲良くなれないのですか」「絵が上手な人は、絵が上手な人としか、交流をしないのでしょうか」

つい先日も、こんな質問に答えました。

utap.hateblo.jp

 

 

質問者さんの状況が、「絵描きは絵描き同士としか仲良くしない」問題なのか?私は、決してそうとは思いません。そして、あなた自身もううっすらと、気付いているんじゃないかなあ。これは、絵を描く人間と描かない人間の問題じゃないと。

 

「絵を描く人間」と「絵を描かない人間」が仲良くなれなかったのではなくて、ただ、「人間」と「人間」の友好が上手くいかない時があって、それがたまたま、絵を描く人間と、描かない人間だったということだと思います。

 

質問者さんの場合も、そのご友人(あなたは、友人とは思っていないのかもしれない)が、聞き手に回りがち、ちょっと拗ねがちで、過激で、嫉妬しがちな人で、そして絵を描かない人間であって、それが貴方と合わなかっただけなんじゃないかなあ。

「絵を描く人間だから絵を描かない人間と仲良くなれなかった」と言い切ることは、レッテルを貼るということかなあと思います。

それは例えば「男だから(女だから)」「関西人だから(関東人だから)」だとか、そういう区分と同じで、私にはまったく意味のないことのように思えます。。統計的に××な人は◎◎がち、ということはあると思うのですが、すべての◎◎な人が総じて××である。ということは、あまりあり得ないんじゃないかなあ。

自分が接した人間の総数が少ないと「◎◎な人は、××である」と言い切ってしまいがちなのですが、すべてのことに例外があって、人間の区分によって性質を言い切ることは少し危険なことかもなあと感じます。(たとえば、Aというジャンルの人に嫌なことをされた時、「Aジャンルの人は、意地悪な人ばっかりだ!」とか、思いがちだと思うのですが、これはきっとそうとは言い切れないことですね)

すべて個人の資質は違うと思うので、性質の区分の中に人間が居るのではなく、個々の人間に、色々な性質が付随していくと考えた方が、うまくいくんじゃないかなあと、私は思います。