自分の作品が地雷だ
自分の作品が地雷です。 うたこさんこんにちは。いつもアスク見せていただいています。
私は同人の世界に足を踏み入れて浅い字書きです。作品を投稿したり、お仲間の方々とTwitterで交流していただいたりしていますが、特段評価されているわけでもなく、自分でもあまりに拙い腕だなぁと思っています。
人の評価なんて気にしないで自分の書きたいものを書けばいい、よく耳にするフレーズですが、正直私はこれは、技術の追い付いた人だけが言えるセリフだと思うんです。
たとえ書きたい「事がら」を形にしたとしたって、後から自分で読み返してあまりの足りなさに読むに耐えない…と思った時、少なくとも私は創作という行為に満足感は得られないからです。
解釈違いやあまりに原作を無視したものだと辛い時がありますが、私は基本的に地雷持ちではありません。はっきりと「コレが出てくる作品が嫌」みたいなモチーフとかはなくて、所詮どんな設定でも展開でも、上手い人がかけば引き込まれるし面白いんだ、という意見です。
ただし、投稿サイトやSNSを巡回していると、この人は上手い、この人はそんなに上手くない、とつい上から目線で分類している自分がいます。
敵を作りすぎてとても公には言えない、最低なことを言うと、むしろ私は「下手な作品」こそが地雷なのです。
もっというと、「何が言いたいのかわからない」という類のものに耐えられない。自分と同じレベルか、それよりレベルが低いと思ってしまうと(最低ですね)、見るのも辛いです。
アイタタタと思ってしまい、いたたまれなくなってしまう。そんなだから、自分の作品を見返しても何言ってるのかわからなさに叫びたくなるし、目を背けてしまうし、痛々しさすら感じ、端的に言うと地雷です。
ROM専でいればエブリシング解決なのかもですが、それでも書くことが好きで、自分のことが地雷とまで思ってしまうのは正直かなりきついです。
いったいどうしたら楽になるでしょうか。 答えにくさが増すような事を、たくさん書いてしまってごめんなさい。
もし気が向いたと思ってくださったら、回答をいただけると嬉しいです。私の凝り固まった考えを、打破されたいです。
こんにちは。
小説のこととはちょっと違うんですが、前に「自分の絵柄が嫌いだ」という質問に答えたことがあります。
でも、絵柄って自分の今まで好きになったものの集大成なので、たぶん好きなものなんです。その質問者さんは絵柄が嫌いなんじゃなくて、自分の表現したいものを表現しきれない、自分の画力に納得がいっていないのかもなあ…という風に、その時は答えました。
小説(の文体・作風)ももしかしたら、似たような考えで…もしかしたら、貴方はこう思って作品を作っているのかもしれない「よい(上手い)作品をつくらねばならない!」と。
自分に厳しく、よい作品を作ることを命じているため、自分では上手いと思えない作品を観た時、こう思うのかも「どうして、こんな出来栄えで恥ずかしくないのか?」と…。他者に自分を重ねてしまうのかもしれない…。
「描きたいものを描けばいい」というのは、本当にそのとおりなんですけど、もっと言えば「描きたいものを楽しく描けばそれでいい」なのかなあ。と思います。そこには全く技術とかは関係なく。
作品を作る時、いろいろ段階があって、その1つめの段階が「①自分が楽しく描く(書く)」ということかなあと思います。
これには、まったく技術は関係ありません。自分と自分の作品の間だけで完結する関係です。これがまず、(特に趣味の)作品を作る根幹ではないかと私は思っています。
2つめは「②相手に伝わるように描く(書く)」3つめは「③相手も楽しめるように描く(書く)」…と、見せる相手を意識することで、ドンドンステップアップし、所謂「上手い」作品が作れるようになるのかなあと思います。
でも、趣味の作品を作るうえで、「上手い」ことって、それほど重要ではないと思います。上手いことより、自分が何を作りたいのか?自分が楽しく作ったのか?それを優先することが、苦しくならないポイントかなあと思います。
向上心つよいことは非常にすばらしいことですが、趣味の世界であまりそれだと、疲れ切ってしまうかも…まず自分を褒めてあげるというのは、どうでしょう?作品を完成させるって、それだけですごい事です。
質問者さんは、きっとすごく上手になると思います。自分の作品に満足しきっていないので……でも、まず作品を完成させた自分を褒めてあげてください。そうしたら、世の中の、完成している作品全てを許容出来るかも……。