ウタチャンホムペ

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自分より上手と思えない人の作品が評価されているとイライラする

うた子さんこんばんは。突然ですが相談させてください。

現在、とあるジャンルで活動しています。自分の絵の好きな部分もあり、創作活動自体は楽しめていると思います。


ですが、自分自身で悪くないと思ってしまっているからか、自分より上手だと思えない人の作品が自分の作品より評価されているとイライラしてしまいます。漫画の上手い下手にも色々とありますが、例えば、私より確実にデッサンが狂っている人の漫画が数十倍のリアクションを貰っていると、何がそんなにいいんだろうと本気で考えてしまいます。その人がジャンルの力(ちなみに(伏せ希望)です)で下駄を履いているというのは往々にしてあると思いますが、同じジャンルで私は下駄も履けません。


同人活動に於いて必ずしも技術の有無や上手下手が評価の基準になるわけではないことは身をもって理解していますが、それでも悔しさを感じてしまいます。そしてそんなことを考えているうちはより良いものが作れないのではないか、という懸念や不安もあります。
こんな気持ちを持ちたくないのですが、どうすればいいでしょうか?

 

 

たぶん、質問者さんは絵を描く上で「デッサンが整っている」ことに重きを置いているのかな?と思うのですが、ご存知のように、技術の有無が評価に直結するとは必ずしも限りませんね。

では、質問者さんが「デッサンがイマイチだなあ」と思っても評価されている作品、どこが評価されているのでしょうか?

ギャグセンス?受けのかわいい表情?攻めのカッコイイ台詞?なにが、皆のツボに入ったんでしょうか?それが何かは、見ていない私には、分かりません。

でもきっと、皆が気に入る「何か」が、その作品にはあったんでしょうね。

 

自分が良いと思えないものが世間に受けていて、そしてそれを「悔しい」って思う気持ちは、別にあっていいんじゃないかなあと思います。

自分に解らないものが世間に受けていることを「悔しい」って感じることって、「じゃあ、どこが良いんだろう?」って考えられるっていうことだと思うし(そして実際に質問者さんは、「何がそんなにいいんだろう?」と考えています)そして、それを考えることって、自分の作品をブラッシュアップするきっかけになるんじゃないかなあ。

だから、別に、その気持ちのせいでよいものが作れないということは決してないんじゃないかなあと私は思います。

 

デッサンが整っていることって、絵や漫画の説得力が増すし、そこに重きを置いているっていうことは、きっと質問者さんは説得力のある絵を描かれるんでしょうね。説得力のある絵で、世間に受けてるものを取り入れることができたら、きっとすごく良いものが出来るんじゃないかなあ。

自分の中に自然に芽生えた気持ちを捨てることって、多分なかなか難しいし、別に無理にすることもないと思う。自分の気持ちとうまくつきあって、よりよく作品に昇華できると、いいですね。